2025-06-01から1ヶ月間の記事一覧
心の病の現代と言われて久しい。心の負をどうにか振り払おうと、宗教に向かう方も多く見られる。宗教は心の隙間を埋めるものと見る傾向は増えることはあるが、減ることは少ない。 身体は健康でも、心が貧しい現代人は、精神科に通う者も増えつつある。自分の…
神はいるなら世界をどう設計していっただろう。惑星を順序立てて創造した、という説は、丸い球であるわけではないから偽である。平面の地陸を作った、という説も一考である。平面の地陸の上に私たちが存在する。太陽も月も幻覚態がそう呼ばれるだけであって…
何事もタイミングが大事である、とされる。勉強するに加味しても朝が数学に向いているし、夕は暗記系の科目がいい。 運転するに加味しても夜は騒音で隣家を妨害してしまう。朝起きたら歯を丁寧に磨くことも常識的な行為となりつつあるであろう。 車に乗ると…
この世界では知識を舐めていないか この世界では知識を大事にせず、知恵の方がもっと大事であるという知恵主義が展覧されている。 知識というものは記憶であり、覚えている事情である。知恵はこの知識と知識とを合わせ複合観念として発想するものである。 あ…
この世界で 世界─内─に存在させられ、被投性を持って存在させられることが、この世界の自分の始まりである。あちらから始まりを告げられる、この世界に投げ出される、それを被投性と解釈することができよう。 自分の人生をチャレンジしていくこと、これを投…
Aであるからbである、という論理形式がある。空気が美味しいから気持ちが良いという命題がある。 空気が美味しいから気持ちが良いとは限らない、という場合がある 。空気が美味しくても気分が良いわけではない、そういう場合がある。日常的に論理的展開では…
世人(ダス・マン)の仮象に揺られ、1円を募金してしまう。さて、どのような世人であったのか。 ①1円を募金すると気分がよい ②募金することが素晴らしい ★論理的な展開を見出す バンジージャンプでは心臓に問題がなければいいのでは、という思想がある。しかし…
今私は夢を見ているか。キーボードを叩きながら、文章を見据えながら、そう行為していると考えるのに夢を見ているのだろうか。これは一概に非夢空間にいると断定することはできない。夢空間にいたときにパソコンをいじっていたときも経験則としてあり得たで…
人生には何か神秘的な意味があるかのように語られ、思考してきた人間は、幸せになりたいと望むことを見出した。 幸せになることを目的とし、努力や仕事に手を掛ける。大人しく平凡に生きたいからひとりで暮らす、そんなインドア派が見られ、フィールズ賞を認…
人生には何か神秘的な意味があるかのように語られ、思考してきた人間は、幸せになりたいと望むことを見出した。 幸せになることを目的とし、努力や仕事に手を掛ける。大人しく平凡に生きたいからひとりで暮らす、そんなインドア派が見られ、フィールズ賞を認…
自己の意識的事態と相手の意識的事態が等しく扱われるとき、これを間主観的な事態と呼ぶ。花火を打ち上げ、盛り上がるときの感情的な意識は両者の間主観性を絶え間見ることができよう。 『あなたの意識は私と同じ意識の具合だ』 こうした間主観性を導き出す…
ここから12のカテゴリーを割り出します。 量(「単一性」「多数性」「全体性」) 質(「実在性」「否定性」「制限性」) 関係(「実体と属性」「原因と結果」「相互作用」) 様相(「可能性-不可能性」「現存性-非存性」「必然性-偶然性」) 単一性:私、他一者 多…
014/2/5 11:19 「存在とは何か?」という問いは古代ギリシャ以来2500年にわたって問題にされてきたけど、依然としてその答えはありません。 「存在するモノ(存在者)」なら、その答えはあります。 しかし「存在するモノ」の根拠としての「存在」が何で…
死について第③弾。 よく死について考えることは生について考えること、と言われる。 親戚が死んだら葬式に出向かうこともあったが、自分自身の行動基準を死というものから考えていくのは凡人でもできるでありう。死を乗り越えて自由者になれば葬式は何度も参…
ハイデガーは人間の死を分解して次のように述べる。 ……現存在の終わりの死は、最も固有な、没交渉的な、確実な、そしてそのようなものとして無規定な、追い越しえない可能性である、と。 最も固有な、というのはその現存在の存在にしかない死であるから、と…
死ぬことは精神体の終末であることは、一概に言い切れない。死んでも復活することはあり得た。ただあとに出てきた幽霊は一度しか死ねないこともあった。幽霊が次の幽霊にバトンタッチしても前の幽霊や本体に戻ることは可能であることもあった。前の幽霊に戻…
学習が辛い人はたくさんいて、学習する度に不安になったり不快感を得てしまうことがあります。学習不快と呼ばれる類の負の感情です。 しかし天才は学習を快感である如く暮らしています。学習がアハ体験という学習快感を齎しているのです。学習が楽しいから嫌…
ニーチェは牢獄に入ったとされるが、これは嘘である。 発狂して死んだ、とされるが、ニーチェは発狂していない。 安楽死で最後を遂げた、59歳で他界した。
ハイデガーは顧慮的な嘘についても考えを巡らせていた。この嘘は相手に対して然るべき嘘を、すなわち必要性のある嘘をつくということではないか。 配慮的な嘘は、相手に効果的な嘘ではないだろうか。相手の機嫌をうかがって配慮したさいに、配慮的な嘘をつく…
視覚化された諸対象をわれわれは吟味することなく、特に理由もなく目線を外す。 森林地帯の近くを車で通るとき、われわれは森林に目をやる。どんどん過ぎそうな森林を見ていく、これが森林地帯を見たいという動機からの行為である。 パソコンで文章を読んで…
りんごの表面を見て、赤い表面を有するりんごであると指すことは可能である。しかし赤いとはそう簡単に証明できない。 人間の眼に物体が赤く見えるように光の波長が齎されるとき、目の前にある物体が赤く見えるのであろう。 人間には赤外線は見えないが、蟻…
カオスの変様によって、あるいは蹂躙によって、われわれは象徴秩序から逃げ出そうとすることも考えられる。カオスの過剰分がこの熱い社会を冷たい社会に変容させてしまう可能性も考えられる。カオスの過剰分をノモス態で抑制できはしないかと、そしてピュシ…
存在している存在を精査しようと試みるちき、そこでは形相から考える向きもある。 乙武さんは両手両足がない五体不満足である。その手足がなくても彼をわれわれは乙武さんと呼ぶことができる。彼の身体性に負があるにせよ、乙武さんの身体性は不十分な判断材…
存在とは現象していたり、認識したり知覚したりしているもの。 判断や経験をする主格となっている本体。 純粋存在と物自体の存在は重く区別される。純粋存在は認識が不可能とは定まっておらず、物自体の存在は認識が不可能であると定まっている。 ショーペン…
存在とは知覚である、という風刺や、存在することは知覚されることである、という風刺は一概に言い切れないと私は考える。 存在とは、知覚ではない。存在とは知覚される可能性のあるものではあるが、知覚されること、というわけではない。 存在とは知覚であ…
過去からの連続性・継続性を見出す働きを過去把持と称する。 未来的な連続性・継続性を見出す働きを未来予馳と称する。 過去把持を理性で進展させる、そういう現象学に臨む姿勢が肝要である。 未来予持を推理で進展させる、そういう未来事項を見出すことが要…
生徒A「あいつ、また嘘ついてんの」 生徒B「信頼なんねえな」 ――嘘で溢れた社会で生きる人々。たいていは嘘をついてその場をくぐりぬける、毛嫌いしてしまう街、オレンソウ。オレンソウでは、嘘は当たり前につくものであるという思想が巻き上がっていた―― 言…
ソクラテスという名の個物を対象とするとき、ソクラテス性、すなわちこのもの性を吟味してかかることがありうる。 個物の個別性をこのもの性として捉えた。『花一般』という『〜一般』という概念が花そのものにはある、とドゥンス・スコトゥスは考えた。 花…
ロックの単純観念においては表面的な、というのも、簡単に判断されうる様態が加味される。 第一性質である『水』というものは第一性質であり、第一性質は単純観念とされる。 第二性質は、鳥を的にするなら鳥のデリケートゾーンであろう。 バークリーは第一性…
一般人というカテゴリーと特殊人というカテゴリーは明確に区別される。特殊人という概念は一般人という概念に属さない。一般人という概念も特殊人という概念に属さない。 肉体的に優位的な人というのは一般人でも特殊人でもない。しかし優位人ではある。 優…