風船と対自と

風船はみずから旅立つように思われるがもし風船が外で打ち上げられたら対自的存在へと変貌する。

 

つまり風船が膨らまされているとき、風船は対他的存在であったのだ。他からの干渉を受けているときは、他者から意識的に扱われている。

 

風船は赤ちゃんが扱うとき、対自ではなく対他的なのだ。

 

大相撲ではまわしというものがある。まわしは試合をしていないときは対自的であるように思われるが、試合中には相手のまわしに干渉するため、あるいは自分にまわしを相手に干渉されるため、対他的であると考えられる。

 

まわしは対自を経て対他へと変貌する。

 

即自という概念もある。

それがあるところのものであり、あらぬところのものではあらぬような存在(サルトルより)

 

山の茂みに石があろう。石は他者から干渉されず、風船のように動くこともない。この石を即自的存在という。