ウィトゲンシュタイン 論考

1.13 論理的空間内の全事実が世界だ。

 

論理的に認められる、あるいは現実を示す命題は現実的にあり得る内容であろう。

 

ウィトゲンシュタインはこの世界を論理的空間内と称した。

 

1.21 ひとつのことがらは、その他の総ては同じままに、あるいは成り立ちあるいは成り立たないことがあり得る。

 

ことがらの成立の確実性を考えた際に、ひとつのことがらは、他のことがらとは差し置い成立することが可能か、ということに至り、可能性は十分にあるとウィトゲンシュタインは判断した。

 

例えば、一秒経つことの可能性を示す際に、他の事象、現象としてラクダが歩いているとしても、ましてやラクダが時計を壊したとしても、一秒経つことを覆すことはできない。また、光が直進する可能性を示す際に、電気を暗くするとしても、夜の暗さを待つとしても、光が直進することを覆すことはできないであろう。それは、太陽が輝き続けるように、太陽の可能性を否定性を持って考えることはナンセンスだ。それと同様に、光を否定性を持って捉えることは時間の無駄のようなもので、暗い部屋にしてロウソクを灯したゆえに面白かった、と進行する場合があるかもしれない。ロウソクで火をともすのは、ロウソクが解け切ってしまっていれば難しいであろう。

 

Aが起こるときとBが起こるときの具体的な説明をウィトゲンシュタインは考慮した。

これはAという事柄が成り立つとき、他に何を語っていると察せられるかという問題であろう。

 

0時1分3秒から一秒経つとき、前の0時一分とは4秒差にあるとうかがえる。

 

Aさんが東京ドームで走っているとき、その走っている姿を見た者は東京ドームでマラソンでも開催されたのか?と疑問に思う可能性もある。

 

鎧兜が設備されているとき、その鎧兜を見た者は含蓄があると考えるであろう。

 

Aという事柄が起きたことにより察せられる事柄、事項、事態はそれもまた事実である可能性がある。

 

★転換期。

 

Aという事柄が起こる際に、同じ世界内でどのような事柄が起きなくなってしまうか、という命題。

 

例えば、千円しか所持していないとき、九百九十円の酒を買ったとしよう。残りは十円だけになり、アイスひとつも十円より高いため、購入することができない。

お酒を買うと、他のものを買うということが起きなくなってしまう、というケースが理論上実現可能である。

 

例2。家族4人で5個の団子を分けて食べるとしよう。兄が団子を食べると、その一個分弟は団子を食べられなくなるであろう。

父が一個、母も一個、兄が一個なら、弟は団子を2個食べられるであろう。父と母と兄のいずれかが、2個団子を食べると弟は一個しか食べられず、二人が2個団子を食べると弟は一個も食べられない。

 

弟が団子を食べるという事柄が、親や兄弟が団子を食べる個数によって変化するという例としても妥当な計算であろう。

お酒を買うと所持金に変化があるから、こうなった、という例も見てきた。変化を齎すに至る事柄が起こったことで、起きない事柄もあるという可能性を吟味しよう。