ヘーゲルは精神現象学の中で精神の運動を描き、絶対知にその頭角を表現した。このような精神の発展は絶対精神の最たる歴史的背景であるとした。ヘーゲルはナポレオン・ボナパルトに影響を受け、絶対精神はボナパルトであるという理想を描いた。
意識、自己意識、理性、精神、宗教、という風に観念論を展開していくのに対し、それらは観念論であって現実的な歴史的発展とは異なることが批判される。ヘーゲルは精神の発展を不可避の理性的進歩と捉えるが、これは現実的な世界観とはかけ離れたものである。というのも、階級対立が齎す現実がこの世界の世界観であるからである。理念の運動を社会的対立として描くヘーゲルの思想は、見識的な誤謬があるのではないだろうか。社会は階級対立で動いているが、理念は階級対立の前線となることはない。労働者階級の人々は労働者として生きることを疎外してしまうことは多々あることである。この自己疎外を用いて会社は入れ子になるとマルクスは言う。
ヘーゲルの疎外においては、自己の本質を自己から対象的に取り出し、自己にとって疎遠な他物とすること、を意味する。これは自己の本質の外化であり、自己自身の差異も関連する内容である。
絶対精神には種類があり、創造主的絶対精神というものがある。創造主的絶対精神とは創造主の精神であり、創造主が精神現象学を書いたとすることが懸念され、本当に絶対知に至る順序で歴史が紡がれるかがみどころである。
もうひとつ、人間的絶対精神というものがある。人間的絶対精神とは絶対知に至る順序で歴史が紡がれる、という思想がある。
ヘーゲルは世界精神をナポレオン・ボナパルトであると評価した。
誰かしらヘーゲルの哲学体系の精神の発展の通りに進むであろうか。この観念論的歴史観の根拠を知らない。ヘーゲルは現実的ではない理念の発展を描いているのではないだろうか。