認識論

カントは認識のシステムを感性と理性と悟性にデコレーションした。

感性で風のなびくさまを認識するということはあり得る。

太陽の光を肌で感じる、という感覚的な側面もある。

認識するときは判断とともにあり、認識のベースが判断であることもあり得る。

例えば、白い帽子を白であると判断したとき、その帽子の形や色を認識していた認識形式が初めて白いと認識することがあり得る。

判断して初めて認識に至るケースもあり得るのだ。つまり判断が先になる情報処理があるのである。

認識形式があれば判断形式というのもあるではないか。純粋判断としては、いい/わるいで判断形式は成り立っている。

美女を見たときに、いいと判断して好きになることが判断形式の事例であろう。

 

純粋判断で何らかの数字を《いい》と判断することもある。7という数字は純粋判断によって《いい》と判断される。これは《いい》と認識する前に《いい》と判断しているのである。