(以下引用)
もう一つの帰結主義の考え方は功利主義 (Utilitarianism) である。倫理的利己主義が個人の利益の最大化を推進したのに対し、功利主義では最大多数の最大幸福が行動の原理となる。より詳細に言えば、功利主義においては、ある行為が正しいと言えるのは、それが全ての人にとっての苦痛よりも快楽が最大化される場合であるとされる。この功利主義には大きく二つの考え方がある。一つ目は量的功利主義と呼ばれるもので、ベンサムによって主張されたものである (Bentham 1789/1907)。ベンサムによれば、正しい行いとは「効用 (Utility) 」を最大にするものだという。この効用とは、快楽や幸福を生むすべてのものであり、苦痛や苦難を防ぐすべてのものであるという。そして、この効用は最終的に量的に計算できることを功利主義は説明する。
(以上引用)
功利主義においては「正しい行い」と「利益を齎す行為」を決して同じものと見做すわけではない。「正しい行い」は決して利益になる行いとは限らない。しかし、利益にならないからといって軽んじるのもよくないかもしれない。
「利益を齎す行為」を行うことは、大事に思えるかもしれないが、窃盗や詐欺など「正しい行い」とは言えないようなことも含める、とされる。そのような悪質な手口から発生する利益は効用とは言い切れないことも懸念される。
(以下引用)
質的功利主義においては、一形態の快楽とたほうの快楽において質的に優る快楽を選ぶことが重視される傾向にある。面白い映画を見ようとするさいに、予備知識がない状況では何が描写されているか分からないからいまだにみない、という姿勢がある。ある程度知識をつけてから映画を見るという姿勢もあるはずである。このような姿勢から、いまだに映画を見ないという選択が考えられるが、同じ映画を借りる手もあり、その際には予備知識がなくても映画を見てしまっているはずである。
いちごが二個あったら一個しかないときよりよかったと考えるかもしれないが、いちごを一個だけならもう一個増やして幸福を選択することも可能である。