功利主義の弊害

功利主義は、幸福や快楽を求めるあまり、異常性を齎してしまう可能性がある。

量的功利主義においては、いちごを複数個買ってしまうと、幸福は助長されるが金銭的にマイナスな側面を抱いてしまうおそれがある。いいことがあっても金銭面の問題がある場合がある。バランス功利主義においては一段と各が違う。いいことがあっても決してマイナスな点がない、すなわちプラスしかないという考え方である。

 

プラスを生み、たほうでマイナスな点を生まない、そういうバランスのとれた功利主義が現代の哲学に介入されてみてもよいだろう。

 

そうはいうものの、プラスを選択していると、他者がこちらのプラスを気にしていると妬んでしまう可能性がある。「プラスを体験するけどそれが微妙」と思われてしまうおそれがある。”完全に”プラスという選択をしている経験としては、きのこを食べることであろうか。きのこを食べても他者が嫌がることはないと考えている。きのこを買った値段が惜しいかもしれないが、もらったきのこを食べるなら、それは完全にプラスなのかもしれない。しかし、「きのこを食べている方がいてショック」と思われてしまうおそれもある。水を飲むという行為をすることもプラスであるが、「(美味しそうに)水を飲むのが憎い」と思われる可能性がある。なにひとつマイナスのない完全な選択に関する一連の出来事たちというパーフェクトな展開を私たちは目指すことも考えられる。そう簡単に上手くいかないかもしれないが、マイナスの側面のリスクを懸念することから始めねばならないのかもしれない。