語りえないこととして戦争においてはどのように剣が下されたか、どのように銃が射撃されたか、そういう類の謎は残る。
住宅火事であればどのように炎がものを包み込んだか、という謎がある。たしかに炎でほぼすべてが燃えたというシンプルな解決もあるが、遺体が誰なのか判明しにくい高級マンション火事も加味されたい。
事件には謎が残るというジンクスもあるのかもしれない。私たちは火事の『痕跡』を歴史の『痕跡』とは一致させることはないであろう。黒く焦げ上がった部分を『痕跡』ということはあるが、織田の天下統一もひとつの『痕跡』であろう。
歴史を語るとき、記述された、あるいは記憶に留めた内容を詳らかにする筈である。
それでも不明瞭な形而上学においてはウィトは『語りえないことについては沈黙せざるをえない』と『論考』の末尾に書いている。神や魂については誰も理解していないのだから、語ろうとすることができない。神は私であり、魂は輪廻する場合がある、という語りならできよう。しかしそう語っても誰にも受け入れてもらえないかもしれない。魂は輪廻する、と知っていれば、信じる者もいるであろう。この知っていれば、というのが非常に重要であり、知りボールで知ることが現代流である。知っていることが事実であるが、嘘知りもあることに注意されたい。嘘知りは知っていないのに知ったつもりになってしまいそうなものである。嘘知りか本当に知ったかは毎度注意しながら考えておくことが大切である。