(解釈)
ハイデガーは、了解性を本来的了解と非本来的了解に分節した。自己の行為による結果を本来的に了解できるか、不満であって非本来的に了解するか、吟味してもよいであろう。
ハイデガーは、本来的了解をみずからの合目的に適う出来事が実現化したときに、起こり得る出来事であるとした。自己が本来的に求める内実を予定どおりに達成されることを予定的了解とした。
非本来的了解については、たとえば水汲みに行く途中でバケツに穴が空いた、というとき、意図しない出来事が起きてしまっている。しかし非本来的了解からバケツを直して高評価を持たれるという本来的了解を見出すことも懸念される。ハイデガーは非本来的了解に至っても人生は終わりではない、と考えた。非本来的了解から非本来的了解にシフトすること、これを瞬視と呼んだ。