【哲学】教育と救済【命令戦争】

私たちは学校で教育という枠組みに流される傾向にある。いじめがあったら教育者はどうすればよいか、そうした検討をすることが不可欠となってくる。いじめがあったら定言命法で「いじめをするな」と言うこと、そして、仮言命法で「いじめをしてはいけないと思うなら、いじめをやめなさい」と言うことが懸念される。これが教育の一部であることは言うまでもない。こうした重要な教育によって救済される生徒たちもさぞ不幸中の幸いといった感もある。救済されるということは、誰かに助けてもらうこと、あるいは環境によって救われた思いがするということである。

 

・肌が寒かったが暖炉の近くで温まって救われた思いがした

 

こうした環境による救済というものもある。暖炉があったおかげで救済された、といったところか。

 

・赤信号から青信号に上手いタイミングで変わって救われた思いがした

 

道路を運転しているときに、赤信号から青信号になってくれて助かった、といったところか。