第一人称や第三人称を用いて論述していこうと思う。第一人称視点とは主観的な視点であり、第三人称視点は客観的視点と定義する。
意識の生成における、第一人称的視点の対象である「Aという感じ」を記憶にとどめ、「Aという感じ」に関する事柄を志向性を以って網羅していくことが懸念される。
「あの人の優しい感じ」というクオリアを感じるとき、あの人に関する事柄を志向性を以って探りに行く、あるいは「あの人の優しい感じ」を純粋記憶にとどめたくなることが懸念される。
白昼夢や幻覚を見るときには、クオリア態へ現実感として刺激が加わる。白昼夢や明晰夢においては、それが現実であるかのように一人称的に働きかけられる。
第三人称的視点としては、他者のクオリア態をそのまま同一の経験として体感することはできないだろう。しかし、これには同一の経験を発生させればよいのではないか、との反駁がみられる。しかし、アンケートをとるかのように、「私はこう感じた」と「あなたはどう感じた」と対話形式で「感じ」をつかむことは不可能ではないように思える。
「感じた内容」というクオリアを第三者がそれと同一の内容を「感じる」ためには、恐怖、歓喜といったものを加味していく必要性がある。「お化け屋敷」で恐怖のシンボルが現れたときには、私たちはみな同様に恐怖を感じる。この恐怖の程度の差こそあれど、他者の「恐怖感」を掻い掴むことは懸念される。
自分の応援するスポーツのチームが試合で勝利したとき、それは歓喜という感じを齎すことが懸念される。歓喜の感じ、喜びの感じというのは「勝利の感動」である場合があるのだ。自分が大会で優勝したときにも、歓喜の喜びというクオリアが齎されるはずである。