ウィトと多世界解釈②

次元を創ることはしばしばあり得ることである現代では、多世界解釈は否とされない。多世界の可能性は大いにあり、十年前の次元に行くことも可能である。次元創世という世界誕生は簡単にできると思っている方がいるのである。あの経験をもう一度再現することも可能である。永劫回帰のようなバックすることを繰り返すことも可能である。デジャヴがあるのはもう一度繰り返しているからという一面もあるであろう。昔と同じ環境に世界移動することは否定されない現代となっている。昔の環境に戻った感じになっても超人は肯定できるものであるとニーチェは考えた。それは超人の理性的判断と超人の人生の豊かさが過去を肯定し得るほどのエレメントであったからである。超人は肯定することの無力さに溺れず頑張っている。超人は肯定し続けることができないわけではない。超人は永劫回帰の連鎖性に携わろうと自由であり続ける存在である。自由で豊かな人生が超人の一生なのであれば、私たちは金儲けを思い付くであろう。自由のために金儲けをし、豊かさのために金儲けをする、という具合である。金を稼いで相対的幸福を得ることと金を絶対的幸福のために使用することとは別のイメージであろう。金を盗んだだろ、と言われればドキッとすることが考えられるが、本当は盗んではならない。大丈夫、盗まなくていい。盗んでは良心がめまいをする。普遍的なことなどレッテルにすぎない。普遍的な絡み合いなど存在しない。普遍的な幸福というものも存在しない。ニーチェは幸福ってどうなの、と一回言った程度であり、幸福を語らなかった。