フィヒテ『自我論』

  • 自己定立(自我は自己自身を定立する):
    • フィヒテ哲学の第一原理。自我は、何かによって作られるのではなく、能動的な意識作用(事行)によって自己自身を同一性(
       
      )として直接的に存在させる。
    • 「私は私である」という本質への自由の表明。
  • 世界定立(自我には非我(世界)が定立される):
    • 第二原理。自己定立する自我に対し、抵抗する存在として「非我(=対象世界)」を対立的に定立する。
    • 非我は自己の認識から外れたものではなく、自己が自己を見つめるために外化した姿(見られる自我)である。
  • 関連概念と自由の実現:
    • 第三原理により、自我と非我は互いに制限し合う(可分的非我)。
    • 人間は、世界(非我)からの制限を受けながらも、それを自己の認識・行為の対象(「見られる自我」)として取り込み、世界を制約のない自由な世界へと純化していく(=実践的な自由の実現)。

 

フィヒテは、自我の根源的生成に目を向けることはなく、自我の論理を詳らかにする。

自我の論理において欠かさざるをえない自我の根源的生成を、彼は「根源的生成の意味:フィヒテ考えないからという女子語的意味」を受け入れてしまっていたから考えなかったという。また、「生まれたときの女子語的意味:フィヒテ考えないから」をも受け入れてしまっていた。追尾ではあるが、「トレビ―、トレビー2」もフィヒテ考えないからという女子語的意味である。

 

根源的生成とは人間についていえば出産か、と思うかもしれないが、胎内での自我の芽生えというものであろう。この原初的な自我の芽生えが自己が自己であるという自己定立をも齎しているのではないか。すなわち自己の自覚である。自己の絶対我そのものが非我、すなわち他者や他物と自覚的に分節化されうる。これを第二原則という。

 

自我に関しての3つの原則

1、自我は根源的に自己自身の存在を定立する
2、自我に対して非我が定立される
3、自我は自我のうちにおいて可分的自我に対して可分的非我を定立する

自我がなぜ存在するのかというと、 自我が自分自身を生み出すから
自我は自分を生み出すと同時に、存在している
例)『母になる』
 ある女性が子供を産んで母になる過程において、自らの中に母としての役割を生み出していく
 母という概念は最初から存在していたのではなくて、 母の行為とセットになって同時に存在していた
【事行】…生み出す行為と生み出される事物がセットになっていること

非我の実在性というのも自我が把捉するためには思惟していく必要があると思われるかもしれないが、直観で感得することも懸念されうる。「自我の自我のうちにおいて可分的自我……」という文の『可分的』というのはやや難解である。可分的自我というのは、自我の陣地、という感も受けるであろう。そして可分的非我を定立することは、世界の定立なのであろう。自分が何だか分からない、どこにいるか分からない、とフィヒテはいうが、そもそも自我のあり方を弁えていなかったことが窺える。