【第800回】 人間本性論⑩ ディヴィット・ヒュームの行方②

印象を印象付けるとき、勢いよく印象を印象付けることが懸念されうる。観念付けるという表記は間違い、誤りである。また、観念付けられるという表記も誤記である。印象を受けて印象の高速展開によって勢いよく観念が固定されるまで印象の連続展開が起きうることがある。観念とは印象が張りつめて、あるいは落ち着いて凝結するときに組成されうる。思いという動作を印象付けて記憶論的展開を語ることもできよう。想いという動作を印象付けて記憶がいつしか観念へと昇華していることもありえよう。記憶に残されていない概念は観念として残されていないはずである。観念があるときというのは記憶が定着しているときであることがうかがえる。印象付ける際に快─不快の判断が印象たらしめていることが往々にしてありうる。また、恰好良いとか誠実な人という印象は、身なりや振舞いといった外的要素の刺激を受けて反応するものである。