世人(ダス・マン)はハイデガー特有の使用概念であろう。
世人という誰でもない影というものは、私たちに思考背景として忍び寄る。それは誰でもない影がこちら側に「普通はこうするんだ」と思わせるからである。普通は▲2六歩という手が指されているからこちら側も同じ一手を打とうと考えさせることが世人的なことがらであろう。
また、ヨークベニマル市にっさんの市という広告的宣伝においては、主婦が1と2と3日には商品が割引されるから買い物しに行こうということがらに基づいてダス・マンに思考させられる。ダス・マンは様々な形態を私たちに見せつける。まるで幻聴の言う通りにしたくなるように、私たちに強い印象を与える。ただ、1、2……、による普段より商品を安く購入できるという考え自体は、何ら問題ではない。むしろ世人が安価で買えることを示唆してくれるのは、啓蒙的な事態であろう。世人を信仰するときには、大衆の考え方と等しいことがらを自分の中で肥やしているはずである。いわば共通認識を信仰していたことに私たちは気付かされる。この常識を選び取ることがダス・マンの影響を受けて果たされることも私たちは知っている。コモン・センスという名の共通感覚では、世人に語られるのではなく、世人に意見を聞こうとする超感覚も懸念される。