ウィトの語らなかった想像世界

1 世界は成り立っていることがらの総てだ。

 

石が四個ある、とき、石が四個あることは世界に成り立っている事柄に含める。

 

石を頭の中で想像するとき、どのような説明になるであろうか。

 

頭の中で「石を描いた」ということがらが、世界内にある事実であろう。

 

石を脳内で描いた、ということ自体、物質的な問題なのか、否か。

 

たぶん、石を想像しても物質を創造したわけではないはずである。

 

しかしながら、魔法使い士なら、石を創造することもできるであろう。

 

頭の中で光を描いたら、その光はどこにあるというのだろう。

 

脳内で見えていた光を今、外国にいる外国の人々に見せようと力んでも、おそらく不可能なはずである。

 

脳内で描いた光は外国の人々の目の前に紹介することはないため、物質化することはない。

 

頭の中で描いた光は、写像理論においては捉えにくい出来事であろうか。

 

誰かが想像した色鉛筆を、私たちは写像することは稀である。

他者の想像というものは、現実世界で見るケースが少ない。

 

想像したものを他者に見せることはできよう。それは超感覚の次第であろう。

 

しかし想像した映像を共有するケースは発展途上である。

 

こうした発展途上にある想像の共有をウィトは語らなかったのだ。