何のためのテキストか

私たちはなぜブログに書き込むのでしょうか。そういう書き込みである文章は、何のためのテキストでしょうか。今回は何のためのテキストか、どのようなテキストが求められているかを分析したいと思います。

 

・何のためのブログか

自分の料理、景色などを映像に残すこともブログの役目であります。あの日の思い出を残す、そして共有する場を設けることが懸念されます。

 

・何のためのテキストか

誰かと記述を共有するために恰好良く文章を書く場合、テキスト性として論文や小論文を書く際と同様の記述法を取ることがあります。

文章を書く訓練をすることで、文章力を上げることが考えられます。

猫提案⑤ 哲学者の会得

哲学者の資格を会得するということは、哲学者と認められうるときにおいてほかにはない。哲学者になりたい者は認められることを目指して哲学的な内容を展開することがある。猫も哲学的な内容を展開すれば、哲学者とみなされる可能性がある。それは、ネット上の哲学者であり、投稿のスタイルが認められうるときである。猫の透明人間の哲学者というのはあり得ることも懸念される。

赤子の欲動⑤

女児(赤子)はまず父親を好むようになる。エレクトラ・コンプレックスといって、父親を好きになったあとで母親を敵対視することをいう。母親は子が自分を好きではないことは同性であることを疑う。これは同性嫌悪や同性は未熟であると同性差別による懸念を持たせる。女児は父親と性的交渉を目指し、母親を退ける考え方を持つとされる。

赤子の欲動④

男児(赤子)の母親と性的交渉をしたいという欲動は、徐々に膨れ上がっていく。母親もどこかで男児の視線に気づくと考えることができる。母親は息子である男児が性的行為を求めていることに微妙な感動を覚える。私の息子はエロティックであるということに違和感を覚え、エロティックではないように、すなわちエロティックを克服するように男児にこう問い掛ける。「私を求めてはいけないのはわかるね?」、と。

赤子の欲動③

赤子の妬み、いわゆるルサンチマンが父親に対して発生することがある。赤子の妬みや恨みというのは赤子が女児であるときにダメな父親と思われていることに起因する。そしてまた、赤子が男児であるときには抽象的に言えば母親と上手くいっていることが起因する。ルサンチマンの欲動という父親を敵とみなす考え方もあるであろう。ルサンチマンを克服すべく励むことが大事である。

赤子の欲動②

父親と母親とを二重の対象性として観察する赤子は、意識を活発化させて取り組むことがある。赤子が苦手であった父親の母親に対するエロティックは、赤子みずから断ち切りたくなる。母親に父親の悪口を言ったり評価を下げたくなったりすることも考えられる。悪口と言えばファルスが汚いと言ったり良くない存在であると思わせたりすることである。赤子は経験を積んで父親を赦すことが肝心であると捉える節目もあるかもしれない。