普遍論争

陸上選手はたくさんいる、という命題があるとき、これが意図するところは普遍性の定言である。陸上選手は、という切り口で話すとき、個人的感覚もあるが総合的感覚も懸念される。陸上選手という個人にも対象としているし、厳密には陸上選手の総体を対象とすることも懸念される。

 

ウィトゲンシュタインの一項を引用しよう。

 

1.世界は成り立っている事柄の総体である。

 

世界はいとも簡単に総体という言葉を使用してで語られる。

 

しかし、岩はどんな総体なのであろう。岩は固まりの総体である、という説もある。

 

また、岩という発言は岩全体を指して使用されることも懸念される。これは複数の個物を指すことになり、普遍性の頭角を示している。

 

岩というものは硬いものである、と発言するとき、これは岩全体を指している。岩全体が硬いものである、という主旨である。

 

未亡人は独身者である、という命題がある。未亡人はみな独身者である、という主旨である。

 

岩に戻ろう。岩は絶対に硬いかと言えばそうでもない。柔らかい岩もある。よって岩全体は硬いものとは言えない。柔らかい岩は少ないことから、岩のほぼすべてが硬い、とは言えそうである。

 

したがって岩は硬い、とは言えない。個体としての岩という対象を指して「この岩は硬い」と言うことは事実であることも懸念される。「この岩と隣の岩は硬い」と複数の個物を説明することも考えられる。