一方、潜在意識という深いレベルの現実では、森羅万象すべてが一体となって全体の秩序のなかで相互に補完し合っている。意識・心・記憶の構造はひとつの根っこから段々と分岐するツリー型の情報系ネットワークであり、枝分かれした下部の構造を包括しながら宇宙のあらゆる事物を包括する階層構造となっている
自己、神、エイン・ソフ、最高善、一者、無限、真我、真我、大我、道、ハイヤーセルフなど、さまざまに呼ばれてきた宇宙・生命・精神の根源は、意識の最深層に位置してすべての階層と間接的に相互作用しながら、素粒子から星々まで宇宙全体を包括し統制する役割を担っている
より本質的な実在においては境界も分断もなく、私と他人も、心と物質も、個物も、時空的な隔たりも異質なものではなく、深いレベルで一体となっている。しかし、世界との対立を自覚する観察主体、つまり自我意識に支配された状態では、意識は肉体のなかに限定され、自我と世界という観測者と被観測者が対立してしまう
聖書では、見る者と見られる者という主客の区別をもたらす識別作用が自我や原罪の起源だとされる。一方、仏教においては、主客の分離をもたらす識別作用、つまり善悪の知識の実を「分別智」と呼ぶ。この分別智が個々の自我や事物が非縁起的にそれ単独で成立し、明確な境界線をもって固定的に存在するという妄想を生み、また、我欲や煩悩の要因になるとされる。そして、究極的にすべてが統合された「無分別智」による知見こそが悟りの状態だと説かれる
物質的世界は巨大な樹のほんの一部である枝先の葉のようなもので“肉体をとる”とは、その葉のひとつとして根を通じて枝先から派生するようなものだ。肉体という一枚の葉(個物)のなかで閉じた自我意識は時空的にも精神的にも拘束され、自由がきかない限られた状態だ
死、苦、欲、妬、憎、怒、不和などの観念は「個」に執着してしまう自我意識の作用だが、宇宙の中心にしてすべてを包摂する内なる<自己>はその全体性をもってして、この世の物質的で粗野な空間の中を照らし出す。自我意識は「個」に執着してしまうが、自己意識に開かれた精神の形式をとることで、自身を含めた万人へと注がれる愛や慈悲をもたらすのだ