TAKAYUKI 考察

492 名前:考える名無しさん 2025/01/16(木) 09:48:35.25 0
そして神経活動の本質とは、物質的世界を超えたところにある。物質的世界、この世、現世とは、その他のものから明確に区別できる具体的な事物や現象、肉体、自我から構成された世界だ。このため、顕在意識下の物質的世界とは、「主体と客体」「精神と物質」「個物と世界」といったものは、それぞれ区別され、分離し、対立した状態にある

一方、潜在意識という深いレベルの現実では、森羅万象すべてが一体となって全体の秩序のなかで相互に補完し合っている。意識・心・記憶の構造はひとつの根っこから段々と分岐するツリー型の情報系ネットワークであり、枝分かれした下部の構造を包括しながら宇宙のあらゆる事物を包括する階層構造となっている

自己、神、エイン・ソフ、最高善、一者、無限、真我、真我、大我、道、ハイヤーセルフなど、さまざまに呼ばれてきた宇宙・生命・精神の根源は、意識の最深層に位置してすべての階層と間接的に相互作用しながら、素粒子から星々まで宇宙全体を包括し統制する役割を担っている

より本質的な実在においては境界も分断もなく、私と他人も、心と物質も、個物も、時空的な隔たりも異質なものではなく、深いレベルで一体となっている。しかし、世界との対立を自覚する観察主体、つまり自我意識に支配された状態では、意識は肉体のなかに限定され、自我と世界という観測者と被観測者が対立してしまう
493 名前:考える名無しさん 2025/01/16(木) 09:48:54.42 0
世界各地の創造神話では、宇宙と生命の根源からの二元論的、識別論的な対立や派生が描かれている。象徴的な例が神に背いて善悪(すべて)を区別する知識の実を食べたアダムとイブの物語だ。彼らは内と外、自と他の違いを認識する自我意識をもち、自己保身や利己的思考に基づく価値判断を行うようになった。この楽園からの追放の物語は、自我の起源とそれにともなう原罪や悪徳、肉体的な苦痛の誕生を示していると考えられる

聖書では、見る者と見られる者という主客の区別をもたらす識別作用が自我や原罪の起源だとされる。一方、仏教においては、主客の分離をもたらす識別作用、つまり善悪の知識の実を「分別智」と呼ぶ。この分別智が個々の自我や事物が非縁起的にそれ単独で成立し、明確な境界線をもって固定的に存在するという妄想を生み、また、我欲や煩悩の要因になるとされる。そして、究極的にすべてが統合された「無分別智」による知見こそが悟りの状態だと説かれる

物質的世界は巨大な樹のほんの一部である枝先の葉のようなもので“肉体をとる”とは、その葉のひとつとして根を通じて枝先から派生するようなものだ。肉体という一枚の葉(個物)のなかで閉じた自我意識は時空的にも精神的にも拘束され、自由がきかない限られた状態だ

死、苦、欲、妬、憎、怒、不和などの観念は「個」に執着してしまう自我意識の作用だが、宇宙の中心にしてすべてを包摂する内なる<自己>はその全体性をもってして、この世の物質的で粗野な空間の中を照らし出す。自我意識は「個」に執着してしまうが、自己意識に開かれた精神の形式をとることで、自身を含めた万人へと注がれる愛や慈悲をもたらすのだ