バークリー(バークレー)の有名な『存在するものは知覚されている』という言葉がある。これはどういう真意なのか。
存在するものは人間に発見されうるし、知覚されうるものであるということか。
しかし人間に発見されない、認識不可の存在はあるのではないか。これを少し掘り下げると物自体の存在も認識できないので、知覚されない存在もあるのではないか。
そこでバークリーはこう反論するであろう。
『神が無限の能力をもって存在を知覚している』
このように神が見ている、知覚しているという反論が考えられる。
ヒュームは自我を説明しようとしても説明し切れない、という考え方から『自我はない』、と主張する。説明し切れない内容から確実な自我の答えが出せない、とヒュームは考えた。そこでヒュームはわれわれは知覚の束であるという着想を得た。
神は物自体の存在を把握できるのか否か、人間には答えが出せないとは一理あるかもしれない。ウィトゲンシュタイン神については沈黙せざるをえないという解が出ないという解を出した、とされる。
ウィトゲンシュタインは霊魂についても語りえないことは沈黙せざるをえない、といった様々な哲学的命題に終止符を打った、とされる。